幻想の未来読んでて思ったことに,半年前には雑なことしか考えていなかったらしい。

この国の両価性みたいなのがあって克服することに困窮しているって話に終始していたようだけど,いやどこに歪みが出てるかくらいわからんのかという話ではあったし,その問題が疾患部を露骨に避けるように如実に残ってしまっていたのは歯痒いばかりに思われる。

大変な時代になったらしい。

数ヶ月ぶりに自発的に文字を読んでて気づいたことだけど,自分の視・聴覚は概ね一元化されており,その情報を取り扱えるbit数はかなり小さい。だからノイズに身を置かざるを得ないシーンで字を読むとき,無謀な書込が増える。不用に情報を増し寡占を図る。「ある」や「全て」に執拗に記号を添える。

刻限

最近,死にたいという願望以上に,自分が現世を失うつまり本当に死ぬという実践的な問題に対する恐怖の方が頻繁に出てきていて,いよいよあと何日生きられるかわからない。根拠は全く測り知れぬが明日足指を棚に掛けてそのままぱったり倒れて窒息するかもしれない,歩いている間に突然車にぶつかるかもしれない,電波が入水の方角に赴かせてくるかもしれない,あるいは自分自身で首を宙に浮かばせるかもしれない——かくていよいよかがりのみあたらない広い宇宙に知覚を失われたまま永劫に閉じ込められるかもしれない。

何も知覚しえないことは一つの快楽かもしれないが,そこから抜け出せて知覚を取り戻す,あるいは別の勝手な仕様のものに還元されるという保証がないままに溶け込むほどの覚悟と呼ぶべきところのものは全く肚に決まっていない。やり残したこともまだ残ってる。今の勉強を続けて(終わった)研究を呼び起こしたいし,トラックもまだまだジャンルを作りきれていないしそもそも何も作ってすらいない,あるいは何も寄与できていない,自分の持っている音で人類に描像を見せたい,延いてはレヴィ=ストロースラカンから世界を俯瞰する作業を行いたい,これは新しい関心だ,しかし有機的につながっており極めて有意である……もっと展開できるかもしれないが,それは僕が死ねない理由を挙げているだけに過ぎない。僕は理不尽に死ぬ。どうやって回収すれば良いのだろうと思うと途方に暮れて仕方がない。

とにかく肝要なのは,200日だか4000日だか,いな20000日かもしれない,その無慈悲な刻限までにどこまで突き進められるか,その限界を探ること,関心であって限界を超えるものを俯瞰する飛び道具の探し方,限界を広げるための思考のジャンプの仕方,その検討である。これは誰かのための人生訓ではないしそんなお人好しな作業をする意図は全く持っていない。唯,愚鈍にエゴのために行う限りのことである。

文字が書けない

統語的にめちゃくちゃな文が生成されるという意味であるかもしれないし,字を書くための肉体的なエナージーに欠いているという意味かもしれない

体がわからない,あるいはその配位を感じられない かゆくてもどこを当たれば良いのかてんで見当がつかない わからない くるしい きもち悪い こわい シヌの 目の前におれのhか見える むり 白い あか し かい

すごく死にたいというよりこれ以上人として生きる理由もないのに死ぬ後に自我がどう分裂していくかを考えるととにかく生きようともがくばかりの毎日。

薬を飲めば内部分裂 神経接続 全てが罵声に還元される幻覚 に苛まれる。否,体の芯が失われるあの感覚に強烈な不快感があるからだ。幻覚ではない。

あるいは既に歳を食うだけ食って血税を搾取される限りなのか,文献も読まず四角い臓器に脳髄を譲ることに終始するそれと全く同じ慣習に埋没されねばならぬのか。得て至るが虚無感に苛まれ続け無自覚に行きてきた「失われた」年歴のみの人生に何のメリットがあるのか。

数学屋(数学者ではない)が古典への言及をしないというコメントはしばしば見られるところであるが,修得すべきところのものは須く修得しなければならないという観点匂いては(その拡張が妥当であることを自明とすると)確かに矛盾している。実際,本を読んでその背景を理解したり,あるいは自身でものを書く立場にあたって自分が何を書こうとしているのかあるいは何を書かされているのかをたずねる,そういう機会に立ち会う度に,洋の東西問わず古典の素養がないのがつらくなる*1

*1:こういうこと言い出すのは大学入試の国語科の設問の仕方に通ずるところがあってよくないかも分かりませんが,アニメの副題とか見ててもロクに和訳どころか国内でバズったことのない文献から示唆的なフレーズを取り出したりしていてすごいですよねという話です