虚空

はっきりとその情景を覚えている夢がある。

気づいたらどこかもしれぬ寄席におり,そして奇妙なことに僕らは周りの人と同じフロアに座ることになっていた。それも小綺麗な格好をした若者がど真ん中に一列で座るときている。こんなものに戸惑わないはずがない。しかしながら来客はなにくわぬ顔をして入ってきている。僕も勝手がわからず苦悶としていたら着席することになっていた。

しかし多いな。畳の色を覗くことすらできやしない。こんな人の前で話すのか。メンツも中高生だかの各落語サークルによるお披露目な訳だったが,あまりに人影が多い。斯様な場所で気を張らぬわけがない。背中からゾッと緊張が走り頭から足まで一挙して冷や汗が湧き上がらんとしている。最初の演目が始まってもその緊張が和らぐことはなく,最早外界から入ってくる有意な情報を関知することは限りなく不可能であった。いな,有意な情報云々どころの騒ぎでない,一切の知覚が耳で起こりえなかったと補足すべきである。この時点で此処が異様な場所であると感知し始め,最早あの人とも判らぬ餓鬼畜生が蠢くあの大地とは全くの無縁であるという理解を得るに至るに時間はかからなかった。

ところで,僕はそもそも落語サークルなんぞに所属していたのだろうか。所属していないにも関わらず,いわんや稽古を行っていないにもかかわらず,何故僕がかくもおかしな格好をして人前に話すような機運が生まれることがあろうか。その時点でわけがわからない。あるいは,所属しているならばその限りありうべきところの稽古に出てしかるべきであり,この怠慢に掛錫されるに違いない,しかしそんなものは僕の脳裏に全く想定されえなかった。頭の中が空虚に殺されていく。並びに,こころなしか,僕やその前後の若い人間の服は死人が着るそれを思わせた。雑多な色が見られる観客とは比にならないほどの白。最早この一瞬で全て合点がついたといった心地であった。

 

それ自体として異様な,しかしあまりに印象的なものであった。

冴えて漸くして空腹感に襲われた。何を食べようか。