やればやるほどに人類皆できることと確信してしまうというものがあって,その預言者としても継承者としても,わざわざ自分がやる必要性がわからないという心境である。あるいはサイエンスを通して神は存在すると言って金をむしり取る修道士にでも成り下がれとでも言うのか。

基礎学にしろ実学にしろ,もはや自明なものに対して多くの血税と金銭をふんだくるだけふんだくって,成長する意思もなければ学習する機能もてんで備わっていない,最早消費する以外に行動原理を備えていない愚かな人間どもを搾取する,神聖さとは全く程遠き業をすすんで行うことほど意地の悪いものはない。

もとい,所詮はその時代数百年のイデオロギーなんだろうと思うとやるせない。よしんばそれがその先の数千数万年の叡智に繋がるとしても,世界はいずれ全てが静かになりその創造者によってオチが締められることになる。萬のものがその上にある以上,そこに落とされた者の全てはその上に愚かにも蠢めく以外になすべきことはないのではないか。その意味で叡智なる者の存在などどこに必要となりうるのか。

 

最早人類は一切の矛盾でしかない。